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シヨウ タイム



先だって、素敵な姐さま達のお誘いを受け… 活動写真『さすらいの女神(ディーバ)たち』を観て参りました

実は一昨年末も同じ面々で『BURLESQUE』を鑑賞すれど、アラベスク風出で立ちであったせいか否か…

お手洗いに参りました際 「ダンサアの方ですか?」聞かれたわたくしは返答に困った、といふ記憶が、、

…とマア個人的な想ひ出はさておき、今宵はバーレスクなるものについて拙い小噺をさせて頂きたく存じます


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ここで、チョイと電脳から知識をお借りし バーレスクとは何ぞや?… を振り返ってみませふ、、、


バーレスク(英語および仏語: Burlesque)とは、第一義的には、シェイクスピア等先行する文芸作品をパロディ化した茶番であり、
一般的には、性的な笑い(艶笑、軽い下ネタの類い)のコントや、ヌードに至らない女性の色気を強調した踊りを含めたショーのこと。

とくに後者は、19世紀英国、ヴィクトリア朝時代に発展した。ミュージックホールでのショーやヴォードヴィル、軽演劇のスタイルである。
したがって、20世紀に入って、多くのコメディアンが映画に参入するとともに、初期の無声映画になだれ込んだ。
アメリカでは1920年代に、ある劇場でコーラスガールのスリップの紐が切れそれが反響を呼びバーレスクショーが始まったと言われるが、
実際いつどこで始まったのか定かではない。1933年のシカゴ万博では客寄せのためにバーレスクダンサーが登場した。
その立役者はサリー・ランドで、彼女のファンダンス(大きなオーストリッチの扇を使ったダンス)はその後映画でも見る事が出来る。
そして今ではミュージカルにもなったジプシーローズリーが登場し、徐々にバーレスクがブームになって行く…(中略)
日本においても、戦前の東京・浅草において軽演劇、浅草オペラなどが発展し、榎本健一らが無声映画に参入すると共に、
バーレスクは日本映画に導入された。戦後バーレスクは、おもにヌードダンサーを示すようになり初期のストリップ劇場で見る事が出来た。
その後バーレスクの特徴であるチラリズムが衰退、バーレスクはグランドキャバレー、ナイトクラブでのショー、日劇ミュージックホールの
ダンサーに受け継がれるようになる。しかし再びチラリズムよりもダイレクトな性表現が好まれ、ミュージックホールの閉館、
グランドキャバレー衰退により、バーレスクショーも衰退してゆく…  ウィキペディアより一部抜粋   
 



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古き映画や小説がお好きな方には レヴューやキャバレー、ムウランルージュ等と言えばお馴染みか、

半裸の踊り子さんによる喜劇交じりのお色気ダンスシヨウでありまして、

我が国におきましてはまさに「エログロ・ナンセンス」の時代といわれた大恐慌只中の1929年末、 

全盛紀迎えた浅草に劇団「カジノ・フォーリー」が誕生、喜劇王エノケン(榎本健一)の活躍と共に大流行…

踊り子が踊りながらズロースを落とすとの噂から押すな押すなの大賑わい、

踊り子はズロースの股下を測られ、警察の検閲官曰く「股下二寸以下、或いは肉色ズロースを使用すべからず」

当時流行していたジャズ、舞台セットの奇抜さ…滑稽で艶がありナンセンスな芝居に老若男女は虜になりました

それにしても、往時と比べると随分 大和撫子の体型も欧米化したものですネ、、、


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当初は「額縁シヨウ」やラインダンスはじめ、今思うと可愛らしい半裸の色気と笑い中心のシヨウであったのが

人間といふのは現状では飽き足らない生き物、戦後は全裸はおろか売春まがいの過激なシヨウが幅きかせ

我が国では警察とのいたちごっこの末、自らの首を締める形で業界は衰退、、、

この辺の顛末は、花魁芸:浅草駒太夫を育て上げた佐山淳氏を取材した『ヒモ一代(三井一郎著)』に記され、

自らをヒモと称しながらも、妻である太夫を ストリップ界を 過激化の波から身を挺し守る姿が印象的でした


やむにやまれぬ事情で肌を曝す踊り子も多くはあれど、かつて踊り子になるのはスタアの登竜門とも言われ、

暴れん坊将軍:め組の女将さんでお馴染み 春川ますみさん・あき竹城さん等多くの女優も輩出致しました

また、前座として欠かせないコメディアンの中から渥美清さんに萩本欽一さん、北野たけしさんなど

多くの喜劇人や映画人が生まれたことは最早特筆するまで御座いませんでせふ


こんにちの日本では ストリップシヨウをみる場所は場末、叔父様達の独壇場と化した感が拭えませんが、

嘗てのレヴュー等はお洒落なモガモボ始め文化人も出入りする社交場でもあったので御座いますネ

 

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さて、ここらで娯楽の本場、1930年代 亜米利加のバーレスクに時間旅行致しませふ…

羽が眩い噂のサリー・ランド嬢に 星が煌く伝説のジプシー・ローズ・リー嬢の艶姿… 

同じ女性のわたくしめが拝見してもうっとり、、構造上は同じ生き物とは哀しき哉…思いたく御座いません

また、エキゾチックな魅力と唄声、衝撃的なバナナダンスで巴里のミュジクホオルの視線を釘付けにした、

「褐色の女神」:ジョセフィンベイカー嬢も、亜米利加発 異色の世界文化遺産といえませふ



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日々鍛えられた肉体美の醸す色香のみならず、タップはじめ身体に染み付いた踊りの華麗さ、非日常的世界…

何よりバーレスクの魅力は、そのコケティシュな滑稽さやお茶目さにあると言ってよいのではないでせふか

お世辞にもスレンダーや美人とは言えないダンサアでも ステージで魅せるチャアミングさときたら… 

それはやはり、自らの魅力を知り尽くしたものに舞台の神様が掛け給ふ魔法なのかしらん、、、 



『BURLESQUE』が分かり易い亜米利加的 ザッツエンターテイメント シヨウ!とするならば、

『さすらいの…』は仏蘭西映画らしく、舞台を終えれば踊り子も演出家も一人の人間・・・ 

泪を流すときも歯を食い縛るときもあり、上手く行く時ばかりでないけれど 人生捨てたものでもない、、、

人間としての魅力的な姿を淡々と追った道中記、といった感で わたくしは味わい深ふ御座いました



当世では、ニュウ・バーレスクと称し 亜米利加はじめ各国で新しきうねりが生まれているやふであります

映画の中の実在する踊り子たちの台詞、「私達は、私達の… 女性のためのシヨウをしたいの」

その言葉で 未だ見ぬ彼女らへ大いに期待に胸膨らむ そんな素晴らしき宵で御座いました


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芸に生きる


此処の所、真珠家では互いに黙々と各々の嗜好に添って読書浸りの日々でありまして、

紳士は手塚翁の漫画全集を、わたくしは例の如く 大道芸人絡み等の書物を読み漁っております…


そんな折、我が国にて三大大道芸祭りといふものがあることを知り、静岡、横浜(野毛)に並び称されるのが

我が心のオアシスであり郷土に程近い、カオスの街:名護屋は大須にて催される大道町人祭、、、

イヤア、迂闊にもわたくし存じませんで 本年度はナント昨日・今日(10/15・16)盛大に行われている模様

近隣県にお住まいでご興味ある方、一先ずは本稿を読まれる前に 大須観音目指し駆けつけられたし!



…といふことで、紳士に続く服飾史は近日お送りすることと致しまして 急遽、

本日は「大道芸人」に寄せる熱き思いを綴ってみたく思ふ故 ご興味ある方のみお付合い下されば是幸い…



図書館にて長く気に掛けていた『大道芸人(森直実氏著)』を基に、先ずは大道芸の体系を振り返ってみませふ

先立って、見世物小屋やサアカスについてわたくしなりに拙いお話をさせて頂きましたけれど、

どちらにとっても欠かせないのが「芸人」、、では はて、はて… 「大道芸人」とはこれ何ぞや?と尋ねれば

答えはテントの中で演ずるか 大道:つまり表で演ずるかの違いでありまして

人間ポンプに例えれば、「影」である見世物小屋に生きたのが戯れ言でも幾度か取り上げた安田里美翁なら 

「表」である大道に生涯身を置きしが園部志郎翁、互いは自他共に認める好敵手であったさふであります…



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サアカスやサイドショウの歴史を辿れば、18世紀後半イギリスにて始まった曲馬団がルウツのやふですが、

騎乗にて芸をしながら観客の前をぐるぐる回る曲馬(馬乗り)から始まったがゆへに、

中央から馬を打つ鞭の長さとの関連から直径13メートルの丸い舞台(サークル)が最適とされ、

そこからCircus(サアカス)、フランス語ではシルクと呼ばれるやふになったとのこと


当初曲馬が中心であったサアカスも、奇術やアクロバット、軽業師や音楽隊、動物見世物に道化などが加わり

当世の形に次第に近づいて参りますが、専門以外に複数の芸を持つものも多かったやふで

閑散期に彼ら彼女らは「外」へ出向き、稼ぎを得る為に大道芸をすることも多かったのです

また、今日の大道芸は17世紀 伊太利亜各地で起こった仮面喜劇Commedia dell'arte(コメディア・デラルテ)に

その原型を見ることが出来るさふでありまして、また別の機会に「道化」については触れたく存じます



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一方、公演前後に木戸銭を取るサアカスやサイドショウと違い、文字通り垣根なき空の下行われる大道芸では

いくら危険であったり優れた芸をしやふがタダ見をされることも間々あったやふで、

野次馬の目を釘付けにしつつ財布の紐を緩ませるか…細心した成果が話芸や演技の向上に繋がりました


主に芸を見せての投げ銭(ハットマネー)形式が大道芸の主体の欧米各国に対し、

我が国においては、特に昭和期は「寅さん」の所謂テキヤ式物売り商売が長く主体であったやふで

巧みな口上のタンカバイ(がまの油売り、唐辛子売り、バナナの叩き売り)などがよく知られて居ります

余談ではナキバイといふのもあったらしく、「会社が火事で倒産、水を被ったこの万年筆を買って欲しい」…

等と話芸で商いを行う手法で 物を媒介に芸を売っていたのでありました


特に、日本では近代まで「芸を糧にする人」は社会的地位が低いとされた歴史が長かったことから

歌舞伎役者でさえ当初は河原者、として蔑まれていたことからも 芸に対価を払うという認識が薄く、

大道芸大会開催当初は「投げ銭」ゆえに遠くからお賽銭如くポ~ンと硬貨を投げる人も珍しくなかったとか



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さて、ではここいらで 幾多もある大道芸の系統をご紹介致しませふ・・・

先ずは、「軽業(アクロバット)」の系統を汲むのが一輪車、綱渡り、玉乗り、ジャグリング、空中ブランコ等

続いては「人体の脅威」と言ふべきか、ストロングマン(怪力)、火吹き、人間ポンプ、悪食(蛇喰い等)等

他にもパントマイムに奇術、人形劇、風船芸、ハプニング芸、道化、足長、舞踏に楽団…と種々多様・・・

我が国ではチンドンや南京玉すだれ、水芸に駒芸はじめ 嘗てはバイオリン演歌師なるものもおられました



嘘か真か、雑技団に入れぬ少年少女は体操競技に進むといふ中国のお国柄の特殊性はずば抜けておれど、

軽業で骨折等は日常茶飯事、好奇心旺盛な観客の為 ビル間に渡した綱を渡り強風に煽られ墜落死する者、

勇気さへあれば誰でも出来ると言はれる火吹きも、吹いたはずのベンジンが逆風で自ら火だるまになることも…

人間ポンプの園部翁、普通口に含むだけのベンジンをポンプゆへ飲み下し吐き出す為 後年は胃癌に冒され

それでも、幾度の手術を経ても丸呑みした蛇が胃に噛み付いた方がきつかった、と笑ってみせたさふな

簡単に見える芸こそ命懸け、陰なる努力を感じさせず さも容易にやってのけることの難しさを痛感致します



放浪の民ジプシー(正式にはロマ)が東西の芸の架け橋として果たした役割は大きいさふでありますが、

大道芸を魅せる場さへあれば鞄一つ身一つで世界を飛び回る大道芸人はまさに 芸における放浪の民…

独裁国家は破綻し、先進国でも格差是正を求めるデモが起こる当世において、

こうあれば一生安泰 などどいふ所謂「成功の方程式」は見事に崩れ去って居るのでありまして、

そんな中 芸一つで生き抜く彼ら彼女らの潔き生き様が一段と輝きをもって力強く感じられるわたくし



そもそもこの「大須大道町人祭り」、1970年代後半 商店街が衰退の危機に瀕したことから

著書の舞台:横浜野毛と同様 大道芸大会で街を活気づけたいといふ商店主達のユニイクな思いからスタート 

70年代終わりの時代背景もあり、当初は暗黒舞踏などアングラ的要素の強かった大須大道町人祭り、

見事街の再生は進み、世界コスプレサミットと並び 今や幅広い人々を虜にする老舗行事であります




さて、麗らかな日曜の今日の日、、 

混沌の街:大須をご当地珍味に舌鼓打ちつつ 大道芸人の芸を梯子して見歩くもよし 花魁道中の見物もよし

あ、恒例の呼び声高き金粉ショウは今年もあるのでせふか… 観音様の心の広さに感服いたす心持であります



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未知との遭遇



皆様にお知らせです・・・


この度、縁ありまして 真珠では以下のお品をお取り扱いさせて頂くことに相成りました

先日、カントリイについてわたくしの勝手なる私観を少し綴らせて頂きましたのも遠からず何かの巡り会わせか、

その名も『Livin' Western Style!』… 1940年代前後のヒルビリーを編纂したCD付きのカレンダアであります

イラストレイター:Mookie氏により 繊細にも大胆にインク描きされた月捲り式の2012年カレンダアに、

Bayourod氏(フランス/ヒルビリ-界の巨匠)選曲、ウエスタンスウィングなども混ざった27曲入りのCDが付きまして

お値段は¥2,625(税込)であります、、 音楽狂のあの方この方への贈り物にも是非どうぞ

なお、当方に見本も置いて御座いますので ご来店の際はお声をお掛け下さいマセ


詳しくはこちら



 

真珠家も気に入り、早速朝な夕なにしみじみと聴き入っては眺めてはする今日この頃

聴いておりますと、眼に浮かぶは亜米利加南西部 …まだ見ぬメキシコ国境近くのカラリと乾いた空気に大地、

もしくは際限なく広がるプレイリイ(大草原)に干草の馨り、実りの季節の到来であります(注:あくまで私観です)

往時の白色人種が有色人種の奏でる音楽に熱き憧憬の念を抱き 自らのそれに取り込んでいった心持が伝わるやふ




今回のご縁始め、ここ数年 得難き方々との様々な出逢いが無知なわたくし共を異次元へと誘って下さいます

そはまさに「未知との遭遇」でありまして、のらりくらりとした真珠家二人にとっては刺激に満ちた方々ばかり…

わたくし共にとっての彼ら彼女らは「異星人」、、、 (注:最上級の褒め言葉であります)

共通するは皆、音楽なしでは生きられない… 音楽を主食としているであらふ星からやってきたと推測されること

何故なら、音楽について語る刹那の彼ら彼女らの瞳からは明らかに何物かの光線が放たれ 眩しいほどですもの!


今思い起こせば、わたくしに影響を与え、この人となりを形成してくれたのは数々の素敵な異星人達の仕業でせふ

日々の稀有な出逢いに感謝致しつつ、新しき何かに向けて少しずつでも歩を進めて行きたき 秋深まるこの日…



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見世物小屋に魅せられて


ハイ、御通行中の皆さま。御用と御急ぎのない方は、一度はズッとこちらの見世物公開までお立ち寄りになりまして、
ホラ、世にも変わった世にも変わったこういう兄弟の、アイヨーゥ、お顔だけでも見て帰って下さい。
アイヨーッ、ホラ、今いよいよ問題となりました、双頭の兄弟を、ホレ、いま、抱き上げて見ていただきますから
ずーッともっと前へお寄りになって下さいよ。無理に前に寄ったから入ってくれとは申しませんね。
タダほど安いものはない。ホラ、タダで見ていただくんですから、ズッと、もっと前へお寄りになって下さい。
…中略


日が沈むと涼しげな風が目に沁みる、夏の終わりを告げるこの季節

初秋の福岡の風物詩「放生会」

夏も終わりだ、好きなあの娘をくどく最後のチャンスだぜ

これおもしろそうじゃね?

えぇ~なんか怖くない?

おもしろそうやん、入ろ



…と、まんまと手をつなぐ二人

こんな甘酸っぱい青春がなつかしや、、、


先日お店に届いた妖しげなフライヤー

BGMにハレンチ学園がながれてそうな60's破廉恥漂うこの団体

うわさの「デリシャスウィートス」です

今年が初めての来福、あの放生会の見世物小屋にてハレンチショウを行うとのこと

放生会といえば見世物小屋

おどろおどろしい絵看板、最早芸といっても過言ではない呼び込みの口上、ジリリリ~ンとなる開始のベル

ビイル片手にジャズのストリートライブを聴いた後、見世物小屋へしゃれこむのも愉しいものです


婦人篇へつづく…



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誰が故郷を思はざる



夜更けの虫の音より、都心に居れど秋の気配を感じます 八月三十一日といふ日、、、

何かをせねば、と焦る我が身を省れば さふ…私事ですが本日は先日召されたお爺ちゃまのお誕生日でありまして

近年は好物の日本酒を贈る事が多かっただけに、贈り主の居ないこの日に一抹の寂しさを感じたわたくし



時は夏の終わりから秋の初め、次第に涼を増し澄み行く空に夕焼けが一段と映えまして、

頬撫でる夕風に何処となくセンチメンタルな心持が頭をもたげるのはわたくしだけでは有りますまい…

この時期にわたくしがふと、聴きたくなるのは カントリイであります




(アレ、、仏蘭西国の古着屋を謳いながら 亜米利加国のカントリイも聴くとは是如何に、、、)

さふ疑問を持たれる無かれ、、早速カントリイとは何たるちや 知識を電脳からちょいと拝借・・・


北米大陸へ移住してきたアイルランド・スコットランド・イングランドなどのケルト系やアングロ・サクソン系を中心とした西欧・北欧・東欧系の移民が
持ち込んだ音楽、特にケルト音楽やヨーデル、ポルカなどがアパラチア山脈一帯やアメリカ北東部からアメリカ南部にかけての山岳丘陵地帯の農村
などで様々な音楽の影響を受け、オールドタイム・ミュージックやヒルビリー・ミュージックと呼ばれるアメリカ民謡の基礎を形成する。
それが19世紀後半の鉄道網の発達、蓄音機の発明、20世紀前半のラジオの普及になどにともなって北米大陸全土に広まり、その伝統民謡的な
部分を保ち続け1940年代に確立された民謡スタイルの音楽をブルーグラスと呼び、逆に様々な音楽を取り入れ大衆音楽化して、
変化し続けているタイプの音楽をカントリー・ミュージックと呼ぶ。

1950年代中盤に入ると、R&B、ジャズ、ブルース、ゴスペルといった、現在の軽音楽の母体となる黒人音楽との融合が始まり、ロカビリー(ロックと
ヒルビリーの融合)スタイルのミュージシャンを多く生み出し、さらにスウィングやブギといったジャズのリズムを取り入れることにも成功、
カントリー自体が様々な方向へと多様化・細分化し始める。 また、このころを境に、民謡やヒルビリー(丘陵地帯の田舎者)音楽という概念は薄れ始め、(中略)現代的なカウボーイやレッドネック(南部の粗野な田舎者)のイメージ、さらにロカビリーの影響で不良青年やヤクザ者を強調する路線も追加される。 そして60年代にはフォーク・リヴァイヴァル・ムーブメントの影響もあり、カントリーの人気が更に盛り上がる… (Wikipediaより一部抜粋)



とマア、その源流は欧州にあったのでありまして、、、 ヨーデルなどの牧歌的な幻影とも確かに重なりますネ

仏蘭西のシャンソンも勿論大好きですけれど、更に秋の深まる落ち葉の頃がより 胸に沁みる気が致します

では、何故に初秋にカントリイ なるのか、、、

それはわたくしのあくまで主観であり、遠き日の郷愁に根源が御座います・・・



あれは、尋常小学校に通っていた時分でありませふか、夕刻になると楽しみにしていたNHK番組が御座いまして

その名は『大草原の小さな家(Little house on the Prairie)』であります

亜米利加は西部開拓時代のインガルス一家に巻き起こる悲喜こもごもに纏わるお馴染み長編シリーズ、

御覧になって居た方々は あの懐かしい開幕曲とともに ローラの面影が脳裏に浮かぶことでせふ…

広大な荒野においてライフル手に命がけで家族を守る父の姿に、幼心にもお国柄の違いを感じさせられ、

実りの頃 収穫の帰り道、揺れる幌馬車に山の如く積み重ねられた干草… 

嗅いだ事も無いその干草の匂いがどうやらわたくし流「カントリイ」憧憬の根っこにあるやふで御座いまして

未だに年甲斐もなく、高原などに参りますとスキップしながら駆け下りたくなる衝動に駆られます



カントリイに多用されるバンジョーやスティールギターをはじめとする所謂鉄と弦の奏でる切ない音色…

いや、わたくしには切なく聴こえるだけなのですけれど、これらと旋律がどうにも堪らず胸を打ちまして、

喩えるならば、奄美などの土着民謡やハワイアンを聴いた時の心持に近く…専門的な知識には暗く御座いますが

故郷は 遠きにありて想うもの、、、 お国は違えど皆 郷愁の感は同じき哉、としみじみ聴き入るこの頃



天にましますお爺ちゃまと、次の日曜がお誕生日の全ての方に… 「お誕生日御目出度ふございます」



  

 


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Author:Pearlマダム&ムシュウ

福岡に御座います、フランス中心の
ヴィンテージ・アンティークショップ
Pearlのマダム&ムシュウによる
日々の戯れ言を綴った日記です

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